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結婚前の性について
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結婚生活の中で、性生活の役割がどんなに
大事なものであるか、おわかりになったこと
と思います。では、その幸福な性生活をもつ
ために、結婚前の性はどうあるべきかについ
て、ここでふれてみたいと思います。
過去の男性支配の社会が、長い間、処女す
なわち純潔と思い込ませるようしむけてきた
ので、今でもそう思い込んでいる女性が多い
ようです。
そういう女性は、結婚前何かの拍子に処女
でなくなると、自分は汚れてしまった、もう
結婚できない、とヤケになって堕落してしま
う危険があり、そういう実例は非常に多かっ
たものです。
宗教、たとえばキリスト教の性道徳が、男
性の童貞と女性の処女とを、結婚前における
純潔の条件として強調してきたにもかかわら
ず、社会は男性の性経験に対しては寛大で、
女性に対してのみ処女であることをきびしく
要求して来ました。これは、西洋でも東洋で
も変りありません。
なぜ処女をのみ純潔の象徴としてきびしく
考えたかというと、男性にとって、経験のあ
る女性を妻にした場合、他の男性の子どもが
宿っていることを恐れたからです。男性が、
自分の財産を継がせるのは、確かに自分の子
どもでなくては不安なのです。
しかし、現代のように避妊法が発達すれ
ば、こういう意味での処女尊重の観念はくつ
がえりましょう。ただ、女性を商品と考えれ
ば、中古品よりも新品のほうが値が高いのは
あたりまえです。
処女性は男性との交渉によって失われるも
のですが、純潔は、人間の一生において失わ
れてはならないものです。処女は、後に述べ
るような意味において価値あるものですが、
純潔とは別に考えるべきものです。
では、純潔とは何でしょうか。純潔につい
ては、人によってさまざまに考えられていま
すが、
「自分および自分が愛する人のために、ひと
すじに幸福を願ってゆく心」と考えたいと思
います。
純潔とは、どこまで竜人間の幸福を目ざす
ものであって、現在の自分に愛する相手がい
ない場合でも将来そういう人が現われるこ姻
とを考え、その人の幸福とをあわせ願う心が
あれば、それが純潔なのです、
それゆえに、純潔というものは噛男性にも
女性にも、未婚者にも既婚者に竜、要求され
るものです。
結婚前の性経験
自然にまかせてよいか結婚前に経験するも
のとしてペッティングがあります。これは、
性的な快感を目的とする体のふれ合いのこと
ですが、コイタス(性交)だけはこれに含みま
せん。というよりは、コイタスを避けて性的
な快感を得ようとする目的があり、コイタス
の代りにこれでがまんしておくという、代用
品の性格をもっているものです。
わが国では、西洋と違い、儀礼や尊敬の印
としての接吻はなく、性的快感の手段として
のみ接吻が行なわれてきました。そのためか
どうか、男性に接吻されただけで処女を失っ
たのではないか、妊娠したのではないかと心
配して相談に来る娘さんが、二人や三人でな
いのですから驚きます。
こういう例を見ます老、「純潔というのは
無知のことだ」といった、ある学者の皮肉な
ことばが思い出されます。
ともあれ、愛し合っている男女がペッティ
ングをするようになるのは、自然のことです
から、それがいけないとはいえません。しか
し、どんな自然なことでも、自然だから正し
いとはかぎりません。これは、文明というも
のが自然を抑制する働きをもっているからで
す。たとえば、裸で生まれてきた人間が裸で
生活するのが自然だ、といっても、今日の社
会でそれは許されていないし、正しくはない
のです。幽
要するに自然の行為ではあっても、社会が
それを不正と認めれば不正なのであり、社会
が違えば、道徳やエチケットも違うのはいう
まで竜ありません。
ペッティングは自然の行為ですが、今日の
社会に住む私たちがそれを行なう以上は、そ
のよい点や悪い点を理解し、エチケットを守
ってゆかねばなりません。
ペッティングについてペッテギングのよい
点は、異性を理解するのにほんとうに役立つ
ことです。この点からいうと、いかなる教科
書や小説よりもすぐれているといえましょ
うG
第二には、性をいやしいもの、不潔なもの、
罪悪的なものとする、昔からの誤まった思想
から人を解放するのに威力があることです。
そして、結婚後の女性の不感症や男性の不能
症のような、性的トラブルを防ぐのに役立つ
のです。
第三には、女性が性的な予備訓練を受け、
結婚後のコイタスで、早く満足が得られると
いう点です。しかし、これはある点疑問で、
そういう女性は、もともと快感を覚えやすい
体質なのではないかとも思われます。
第四にはコイタスによらずに性的な楽しみ
をいちおう味わうことができるので、結婚前
にコイタスに入ってしまうのを防ぐのに役立
つという点で、アメリカでは、こういう考え
方でペッティングを行なっているわけです。
しかし、考えねばならないのは、ペッティ
ングはもともとコイタスへの前奏曲なので、
コイタスに移行するこ盈こそ自然なのです。
この自然のなりゆきを自制心によって食い止
め、前奏曲だけでがまんしておくのがペッデ
ィングですから、ややもするとブレーキがき
かなくなり、自然に負けて、コイタスに入っ
てしまう危険が大きいのです。、
結婚前にコイタスをすることを、道徳的に
非難することはできませんが、心の底からコ
イタスを許す覚悟(したがって、それによっ
て起こる事態に対して責任を負う覚悟)がで
きていないのに、ペッティングで興奮して、
コイタスに入ってしまうのは、賢明な態度で
はありません。
以上のことを考えて、ペッティングの欠点
をあげると、
第一は、ペッティングからコイタスに移行
しやすいこと。
第二には、コイタスの代用品にすぎないた
め、中途半端な性的満足しか得られないとい
5ことです。そのため、男性は特にいらいら
して神経質になり、結局、その後に自慰をす
るとか、相手に刺激してもらっ-て射精をする
とかいう手段をとらずにはいられなくなるの
です。
女性もあまりきわどいペッティングで興奮
し、それが解放されないと神経質になり、腹
痛、頭痛、不眠、自慰などを覚えるようにな
ります。
第三には、いわゆる変態性欲に走る危険が
あることです。変態性欲とは、正常なコイタ
ス以外の方法で性的な快感と満足を得て、コ
イタスによってそれが得られない状態のこと
なのです。
これでは、正常な性生活をもつわけにゆか
ず、ペッティングには、常にそうなってゆく
危険がつきまとっていると考えねばならない
ので、特にきわどいペッティツグを警戒しな
ければなりません。
結婚前の性的訓練について性についてのあ
る程度の知識をもち、性的トレーニングをも
うておくことは必要で、それが結婚する者の
責任といってよいと思います。
結婚後、自分も相手も幸福になるようにと
いう考えで行なうトレー二、γグであるかぎ、
り、どんなことであっても、男女ともそれに
「よって純潔が失われたとはいえません。しか
し、この性的トレーニングには、男女に大き
い差のあることを知っておかなくてはいけま
せん。
男女同権、男女平等の原則をふりかざし、
男性がやることは何でも女性がやって悪いと
いうことがあるものか、と考えたり、女性が
こうだから男性もこの線でというのは、残念
ながら誤りなのです。
いやしくも、セックスに関するかぎり、す
べての事情が男性に好つこうに、女性には損
にできあがっているという厳然たる事実に目
をつぶってはいけません。男性には第一、ハ
イメン(処女膜)などというじゃま物はなく、
妊娠という負担もないのです。
なんだ、そんなことにこだわるのは古くさ
い、さっさと捨ててしまえ、という勇敢な女
性も近ごろ多いようですが、その人々には、
なぜ女性にだけそんなじゃま物があるかとい
う、自然の作った不平等について考えてみる
力がないといってよいでしょう。
自然は、男性と女性を決して公平に作って
はおりません。これは、議論の結果の判定な
のではなく、事実なのです。ですから、性的
トレーニングも、男女の差にもとついて、不
公平に行なうのが正しいのです。悪平等な考
え方は男女双方の幸福をそこなうものです。
男性は、結婚生活におけるコイタスの主導
者であるという、生理的な宿命を自覚する責
任があります。
ボーヴォワール女史が、「コイタスは、男
性の器官の同意なしには不可能であるのに、
女性の器官の同意がなくとも可能である」こ
とを指摘し、「女性の同意のないコイタスの
場合でも妊娠が可能である」と言い、この点
に関するかぎり男女間の不平等を認めていま
す。ですから、結婚前の性的トレ1ニングと
して、女性はコイタスにまで発展するのは賢
明ではありません。
ベッティングも、なるべく乳房あたりまで
でストップさせ、あとは、身をかわすほうが
よいのです。曳、
男性は一人の女性の体を知り尽くすと、そ
れで興味を失ってしまう傾向がありますが、
女性はそれに反して、その先ますます、交渉
を竜った男性にひかれるという悲しい傾向が
あります。
男性を信じて身を許したばかりに、かえっ
て去られてしまったという例が、昔からどれ
ほど多かったことでしょう。
男性は性急であわて屋です。女性はスロτ
主義で時間をかせぐべきです。
9行為の責任は五分五分で、幸福な結末に至
らなかった場合、常に女性側のみ損をする上
いうことを、心得ておいていただきたい電の
です。
ところで、処女が純潔と無関係に価値があ
るというのはどうしてでしょうか。それは商
品としてでなく、夫婦の性生活の幸福を築く
のに役立つ価値なのです。
結論をいうな疹、処女は、男性との交渉の
記憶をもたない点に価値があるのです。
だれでもこんな経験がありましょう。ピア
ノや書遣などのおけいご事を七た場合、はじ
めに教えてもらった先生のくせがしみこん
で、次に別の先生について教わった場合、前
の癖が℃やまになって困ったということ。
コイタスの場合も、これと同じなのです。
つまりAという男性と交渉のあった女性は、
Aの持つ癖を自分の体に覚え、刻み込まれて
しまい、動作まで自分の全身に記憶してしま
うのです。
その女性がBと結婚した場合、Aの記憶が
無意識に反抗して、Bとの性生活の調和のじ
ゃまをします。もし、彼女が処女であったら、
Bのもつ癖をスムーズに受け入れることがで
きるのですが。
こういう記憶をもつのは男性も同じです。
むしろ、女性の場合以上に肉体に記憶するの
です。しかし、男性は性行為の主導者ですか
ら、その記憶はじゃまにならず売かえって、
それを利用して女性をリードすることができ
ます。トたとえば、ピアノを習った場合、その
先生の癖の記憶を利用して、今度は自分の弟
子にそれを教えてゆくような竜のです。
女性は生理的な理由で性生活の主導者には
なり得ず、常に受身なのです。それゆえに処
女であることに大きい価値があるわけです。
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